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世界で最も不思議な滝、世界の美しい滝。情報としての価値も求めたい

世界の奇妙な滝というテーマで足早な紹介が続く



洞窟の母のささやき


そこはイギリス、ヨークシャー。伝説によると15世紀から16世紀にかけてマザー・シップトンという預言者が住んでいた。
映像内では滝を、洞窟の母のささやき、と表現している。
この滝の水に浸かったものはあらゆる物が石化するとおそれられた。というのも石灰などのミネラルが高濃度に含む水がここには流れ、わずか数ヶ月も水に触れていると、その表面を石灰石が覆ってしまう。
滝の水で石化した物を、土産物として販売するために様々な物が吊るさており、奇妙な光景がそこにある。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.11

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.11



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。

バニャ・ルカ


Banja Luka

バニャ・ルカ(Banja Luka)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの西北部にある同国で2番目に大きな都市である。連邦国家であるボスニア・ヘルツェゴビナを構成する2つの共和国のうち、セルビア人主体のスルプスカ共和国の最大の都市で、事実上の首都となっている。
バニャ・ルカ周辺部は自然が美しく観光には良い場所となっている他、バニャ・ルカ市内にも宿泊施設が充実している。市内や周辺部には温泉やスパもあり観光客を集めている。バニャ・ルカは樹木が多い町でもあり、グリーンシティの愛称もある。中心部には歴史的な建物も多く、レストランなどの飲食施設も多く立地している。他の見所として、バニ丘やクルパ近くのヴルバス川の滝がある。ヴルバス川のラフティングは現在、地元の観光客で賑わいを見せるようになった。釣りやロッククライミング、バニャ・ルカからヤイツェにかけてのヴルバス峡谷のハイキングなども観光資源となっている。サイクリングツアーや、歴史遺産を2、3時間で巡るツアーも毎日開催されており、ホスピタリティにも優れていると観光客に高評である。

モスタル


モスタル(Mostar)は、ボスニア・ヘルツェゴビナのヘルツェゴビナ・ネレトヴァ県の県都でヘルツェゴビナ地方では最大の中心都市である
モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部に位置し、峡谷の中心をネレトヴァ川が流れる、ネレトヴァ川の町として知られている。
観光が主産業で、旧市街には工芸品を並べる土産物店が軒を連ね、70年以上にわたって銅製品の技術を受け継いでいる家もある。
また無秩序な都市拡大を抑制するために、新規建築への投資を計画的に管理している。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネッ トワークNo.10

TURISTIČKI ROTOR TURIZAM PLUS EMISIJA BR. 10



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。
ボスニアの米国大使館の出資支援による、ボスニア観光振興プロジェクトである。
ボスニアとしては、セルビア、クロアチア、チェコ共和国、スロバキアなどの国内環境以外、米国、カナダなどからアプリケーションダウンロードが増加しているのは興味深い事だとしている。
好評のコメントが多い事で、彼らは、おもてなしによる観光振興の手ごたえを感じて、その重要性を再認識している。

バニャ・ルカ(Banja Luka)


夏のシーズンに向けて、ウォータースポーツの愛好家がブルバス川の周りから、あるいは世界中からこの街に集まってくる。ボスニア・ヘルツェゴビナの街の雰囲気を楽しむ観光客がこの下支えとなっている。ブルバス川は、アドベンチャースポーツに最適だとある観光客は興奮気味に語る。
バニャ・ルカ(Banja Luka)の観光客には主に2種類ある。宗教的な観光客とラフティング観光客である。観光ラフティングは地域や欧州全域にファンを持っている。ラフティングセンターキャニオンは、バニャ・ルカ(Banja Luka)とブルバス川の全ての町の観光の発展の可能性を大きく広げている。
観光客は野生の海域さながらのラフティングで、カヤックやカヌーなどのヨーロッパ選手権に、住民は自分たちの街組織の振興に寄与に満足している。
バニャ・ルカ(Banja Luka)はブルバス川上のウォータースポーツ観光客の受け入れ先として不可欠な存在となった。さまざまなコンテンツに加えてキャニオンラフティングセンターを訪れる全ての人たちが料理を楽しむことができる。スポーツ娯楽とウォータースポーツの競技に加えて夏にバニャ・ルカ(Banja Luka)を訪れる観光客は文化や音楽のイベントも楽しめる。
ブルバス川に東から太陽の光が差すとき、バニャ・ルカ(Banja Luka)の街の象徴であるRajakasaを多数見る事が出来る。このRajakasaとは他の動画を見る限り、舟の最後尾に乗って漕ぐ手漕ぎのカヌーの一種らしい。晴天のイメージと共にあるこのRajakasaも人々の忘却に中にあり、彼らはこの街の伝統であるRajakasaの保存に努めている。
街の中心部でカステルの要塞は、ブルバス川に面して、その壁が町を守っているのだという事を、誇らしげ立っている。ほぼ全ての観光客が足を運ぶ場所であり、夏の観光スポットに属する。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.9

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.9



ボスニアの米国大使館の出資支援による、ボスニア観光振興プロジェクトである。

ボスニアとしては、セルビア、クロアチア、チェコ共和国、スロバキアなどの国内環境以外、米国、カナダなどからアプリケーションダウンロードが増加しているのは興味深い事だとしている。

好評のコメントが多い事で、彼らは、おもてなしによる観光振興の手ごたえを感じて、その重要性を再認識している。

ボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)


リイェヴチェ平原にあるボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)は人や物の移動が頻繁な国境地である。外への扉として知られるこの町に、彼らは自由都市としての追加属性を加えたいと考えている。
お祝いの時期以降の観光人口流入に加えて、夏季の観光入国者は遊牧民のようにこの国境の町を通過するため、人や車が移動の無数の列を成す。ボスニアの最も賑わう国境の町のひとつとして解りやすい町なのである。
ボスニア・ヘルツェゴビナの観光地の可能性として国の北西部リイェヴチェ平原やPotkozarjeの存在がある。この場所は国内最大のサヴァ川の右岸にあたり、クロアチア共和国との自然の境界線を形成している。
天然資源としてのボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)を位置づけるのにポサヴィナ(Posavina)バレーがエメラルドの美しさを添えている。緑の美しさを喩えるときボスニアではエメラルドという言葉がよく出てくるように思える。
このサヴァ川のほとりで伝統的な文化遺産である健康料理フェスティバルの開催が続いている。この民族イベントはコザラ(Kozra)、リイェヴチェ平原、ポサヴィナ(Posavina)を活気付けて、観光客の購買欲をそそり、人と人を繋ぎ、伝統を復活させ、愛と平和と友情のメッセージを発信している。
現在(2016年当時)、ボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)ではサヴァ川の谷の上部を考古学公園にする大きなプロジェクトがあるため、谷の下部を開発に使っている。
このプロジェクトでは、観光客がここを訪れたときにボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)の二つの顔を見せる事ができる。
春の祭典では、すべての生産者が集まって地元の食材を披露している。主にクロアチアから観光客が訪れ、国際的住民性を持つ彼らは国境を越えた開発を行っている。
約2000人の訪問者に健康フェスタで毎年提供されるのは、高級料理と伝統料理である。美味しい料理とおもてなしの香りが、住民や頻繁に往来する外国人観光客の来訪者数の維持に繋がっている。
このフェスタに参加するオーナーの一人は、どの国から観光客がきてどういった食材を求めていったか、という問いに対して、近隣諸国やイタリア、オーストリア、北欧の国々からが、来訪者の上位を占めると答える。彼らが食事に対して求めるものは、地元ならでは食材と食文化である。今日、全てが地元で販売され、高級食材の活用も本当の地元の伝統的なレシピで料理されるように最善を尽くしている。
組織としてのイベントをこの7年間にかけてきただけあって、旧ユーゴスラビア各地から訪問者が来ている。訪問者数を維持していくために、さらにこの地の存在を周知して、来てもらえるような情報発信が必要だと住民は感じている。
この町の自然の豊かさが経済に発展に貢献してきた。リイェヴチェ平原は果物や野菜の生産で長い伝統をもっており、最大の生産地のひとつである。そこからさらに一歩抜きん出て農村観光として開発できる可能性を秘めている。
天然資源の豊富なグラディシュカは、セルビア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナの最も有望な自治体の一つである。現時点(2016年当時)でボスニア・ヘルツェゴビナで最大の果物生産量を誇る。出荷できる品質の生産量で年間5,000トン以上である。野菜の出荷額の全てが高品質野菜で占められている。
ここでも紹介の担当者は、資源のプレゼンテーションにおいて他の自治体よりも完全に出遅れてしまっていると感じている。また農村観光の発展に大きな可能性を感じている点も共通している。
ボサンスカ・グラディシュカ(Bosanska Gradiška)は、地理的位置、道路ネットワークの構築において良好な場所である。
旅客にとっても貨物輸送にとっても国際国境通過の一つとして最も重要な場所である。
観光産業において失敗しない投資とは、失敗しない販売を行う事である。全ての場所に通じるこの道路に投資する事は費用対効果が高いとインフラ担当者も考える。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.7

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.7



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。

ボスニアの米国大使館の出資支援による、ボスニア観光振興プロジェクトである。
ボスニアとしては、セルビア、クロアチア、チェコ共和国、スロバキアなどの国内環境以外、米国、カナダなどからアプリケーションダウンロードが増加しているのは興味深い事だとしている。
好評のコメントが多い事で、彼らは、おもてなしによる観光振興の手ごたえを感じて、その重要性を再認識している。

ブルバス(Vrbas)


ブルバス(Vrbas)を今日の知名度にまで押し上げたのは、1933に建てられたホテルパラスの存在が大きいという。調度品の品の良さから数々の賞を受賞し、近くの公園も観光客に気に入られている。プレゼンテーションや、ビジネスミーティングとしての利用客の受け容れも可能である。
このホテルは、その伝統的な様式から映画や演劇の舞台として使われ、常に物語の一部として存在していた。これに加えて、テレビ、ミニバー、電話、インターネットアクセス、美容院、薬局などの設備を用意し、利用客の滞在をここ一箇所で完結できるよう、古く美しい様式をしっかり残しつつも、現代インフラを完備したホテルへの脱皮に成功した一例といえる。
ホテルレストランでは品質が保証された香り溢れる伝統的な郷土料理を提供している。

デルヴェンタ(Derventa)


デルヴェンタ(Derventa)とは約1万人の人口を持っているボスニアヘルツェゴビナの都市である。セルビアの北部に位置し、クロアチアの国境から30 km離れている。経済の強化でコミュニティの観光プランを向上を計っている。
Hotel Biserはこの都市のシンボルのひとつである。休暇を過ごすことができるアパートメント、様々な客室を提供している。ホテルの商標にも顕われているように四つ星ホテルである。
ビジネスや自然観光にも主要のホテルで、地域全体に取引先を持つ。携帯コンテンツとの強いマッチングも売りにしている。
支配人は、最新のトレンドと穏やかな環境に適応したモダンでエレガントな内装、暖かい客室を当日の休暇でも品質を保証する、と自信を示す。
客室にはミニバー、セーフティボックス、電話、Wi-Fi、ケーブルインターネット、プラズマテレビ、衛星放送チャンネルが用意されている。
ゲストに合わせた、スイート、セミスイート、エコノミーの部屋を用意している。イタリア、ドイツ、オーストリアからの観光客が多い。もちろん他から観光客も大切にしていると支配人は話す。
デルヴェンタ(Derventa)にある企業もここを訪れる。ビジネスパーソンのために設計されたホテルカンファレンスで会議、プロモーション、カクテルパーティーなどのイベントに最適としている。
歌手やサッカー選手など有名人がリピーターとしてここを訪れる。
レストランでは地元の料理と各国の料理のブレンドを表現している。容量は408席。豊富なワインリストから世界各国のワインを選ぶことができる。ハムとモッツァレラチーズこねてイカに詰めるシェフもおもてなしに力が入っている。魚のメニュー、ほうれん草などのグリーンのリゾット、チーズ、地中海のスパイスが観光客の皿に載せられる。
Hotel Biserは2010年9月に同名のホテルを下地に再建された。戦争中荒廃した後、まず1973年にオープンの日を迎える。設計者はホテルをデルベンタで育った子供のように施設を繰り返し育ててきたと語る。その都度、医者が患者を診るように、建物の状態を受診して、美しい形状に育ててきたのである。
Hotel Biserの再起動は、観光オファーを大いに拡大した。ホテルに戻ってきてくれた客達のおかげで、復興に大いに貢献できた。
Hotel Biserとともにデルヴェンタ(Derventa)の復興と開発に生きる仲間達の部屋に、今日の朝もコーヒーが香る。

筆者お手上げ、ブラジル人が見つけた日本の穴場 BRINCANDO EM UM RIO DO JAPÃO

BRINCANDO EM UM RIO DO JAPÃO...@youtube


ブラジル人から訪れた家族が何組も日本の川でキャンプを張って遊んでいる。結論から言えば、場所が全く特定できなかった……。
手がかりになりそうな映像は何点かあった。
不明瞭ながら交通標識が画面の上部に映った。場所を特定するのにこれ以上確かなものはない。少し明瞭度合いを上げるが、文字がつぶれていて全く解読出来ない。警察が使っている防犯カメラから文字を割り出す特殊ツールが欲しいくらいである。
手がかりになると思われた交通案内標識
仕方なくこれをグーグル画像検索で調べる事にした。元の画像より鮮明にしてあるため、AIに懸ければそれで解決するはずであった。
しかし、検索結果は、
一致する画像なし。類似する画像群は「コンピューターのブルースクリーン」だそうである。さすがはIT先進国日本、ブルースクリーンを国道に高々と掲げる時代になったのである。
場所を特定できそうな崖
特徴になりそうな風景をスキャンして諦めずにAIに懸ける。中国の川であると診断された。
河川管理局らしい看板もあった。これも巧妙に木の枝で隠されていて、特定出来ない。教育委員会の看板もある。「名○○教育委員会」という文字が見える。特定出来そうではあるが、単に名義人教育委員会と書いてあるだけのような気もするのである。
というより「あぶない!」とはっきり書いてある。本来立ち入りが許されていない場所ではないか……。

コメント欄から手がかりを探る

動画を閲覧してもらえるとわかるが、膨大なコメントが寄せられている。こんなアバウトな情報で人気が出るというのは、まったく妬ましい限りである。
コメントの大半はポルトガル語である。実は筆者はポルトガル語は不得手なので、頭がしびれて来るのを自覚しながらも読み進めていく。しかし、これだけコメントがありながら場所について誰も言及していない。
ところが、一点だけこの中に光明が見つかった。
「名張川では」
というコメントが発見出来た。

名張川をグーグル画像検索で調べる

「名張川」というワードでグーグルで画像検索をしてみる。どれも似ているようでありながら、決め手に欠ける。

飛び込む場所を見つけたかった

あくまで動画の中の雰囲気からの推察だが、川に飛び込むスポットを探していたらしい。「30メートルの高さから飛び込んだ」という本人に対して、「あれは5メートルだ」「日本ではあれが30メートルなんだ」というコメントが寄せられる。場所に関する言及はほとんど無い。彼らにとってここはアバウトに「日本」であるらしい。
この記事の場所も彼らの意を汲んで「JAPÃO」としておく。

竜巻から川の流れを読む =ブラジル セラデカナストラ国立公園=

澄んだ水面で機会を待つ


滝の下の水面は最初は穏やかだった。水底がはっきりと見える。
旅人はこの水域を解説しながら、さらに待っているものがあった。彼はマンガダグアと呼ばれるトルネードがもたらす洪水のタイミングを知っていた。解説の最中、滝はみるみるうちに増水し、先ほどまで澄んでいた水面は激しい流れとなって白濁してその表情を変えていった。

セラデカナストラ国立公園

セラデカナストラ国立公園は、ブラジルのミナスジェライス州のカナストラ山脈にある国立公園である。植生は主に岩場とセラードで、渓谷渓谷に林立した森林があり、45種の固有種の植物を持つ。セラードとは、ブラジル中央部のサバンナ気候地域にみられる植生のことで、イネ科植物を主とする草原で低木をまじえる。

それは河川のブラックホールか =ラトビア共和国ディバイテ=

ラトビア共和国ディバイテ


以前に物を飲み込む川の穴として紹介したラトビア共和国ダウガヴァ川である。今回はディバイテという地名が挙げられ、映像も別の物である。
ちょうど流氷が流れてきて、渦が物を飲み込む様がよくわかる。

水の目からの川の誕生 =コロンビア トリマ県サンミゲル ナタガイマ=

コロンビア トリマ県サンミゲル ナタガイマ


川が水やマナの目から生まれたとき、自然が賢明に湧き上がるまで水滴が形成され、水という貴重な液体が与えられる。
コロンビア、トリマ県で水が穴から湧き、川を成している。撮影者はこれを創造者の目と称える。
トリマは、コロンビア共和国を形成する32の県の一つである。近くにはマグダレーナ川が、トレミマを南から北に縦断している。またトリマは、コーヒーの産地である。
トリマという言葉は雪や雲の川から来るという説や、殉教者の名前であったという説がある。とりあえず、という意味ではない。

[公開終了]ロシア、リペツク地方の唯一の滝

ロシア、リペツク地方



車載カメラがこれから旅人が向かう先を映す。
ロシア、リペツク地方の唯一の滝を目指している。舗装された田舎道をある所で曲がると、土がむき出しの道に変わる。道は狭まり車一台やっと通れる程になり、行ける所まで行き着いたら後は徒歩の道のりだ。
リペツクは、リペツク州の州都、モスクワからは南東へ438kmの場所だ。地図で確認するとヴォロネジ川という川が流れている。おそらくこの流域の滝だと思われるが、特定する事は難しかった。他にもリポフカ川、ドン川があり川が多く、どれも該当するようでもある。
映像に映るこの川の水温は夏も冬も同じ冷たさで、丁度4℃だという。
調べ方によっては場所を特定出来る情報も提示されていた。この場所にはかつて商人が水車を設置した。商人の名前からこの場所をルサノフの流れ、というのだそうだ。

川沿いのアウトドア =エルサルバドル アワチャパン=

エルサルバドルの田舎の素朴な幸せ


「エルサルバドルの田舎に住む素朴で幸せな生活を思い起こさせたい」
と投稿者は語る。家族として一緒に冒険、ゲーム、料理、そして多くの出来事を楽しむ事が目的だ。ここはエルサルバドルのアワチャパンという小さな村の友人、隣人、家族共存を示す人々の集まりなのである。
皆がここで出会い、踊ったり、笑ったりして、より大きなコミュニティに発展していく事が彼等の願いだという。

アワチャパン

アワチャパンは、エルサルバドル最西部の県で、人口は1キロ平方メートルあたり300人弱。そこまで重度の過疎ではないと思われる。コーヒー栽培地帯の中心地で,その取引も盛んである。

[公開終了]【閲覧注意:汚染】川を掃除し、魚を救う、そして多くの宝物を見つける

川底に潜るヒーロー



人間の生活によって汚された川底に潜り、川を掃除して魚を救う人物がいた。
汚れた川底には、アイフォン、GPS端末、サングラス、杖、そのほか得体の知れないものが無数に転がっている。このような川の環境がよかろうはずもなく、汚染の犠牲になった川魚の死骸も見られた。だが、これらをあえて宝物と称して、ゴミを棄てる人間を批難したり、地球環境の未来の暗いイメージを見せるという事を彼はしない。
この地道で真摯な活動を遠くから応援したいと思う。

川の素晴らしい誕生

川の素晴らしい誕生


草地の窪みから勢いよく水が湧き出して川を成している。
草丈が高く元々植生が乏しくなるほど水に困る地域ではないと思われる。普通の水辺の植物にあるような、豊かな緑色が見られないので、寒気か、あるいは水源らしく高地で撮影されたのかもしれない。

ドアのないトイレと自然のジャグジー =クリミアのフナ要塞跡、ジュールジュールの滝=

クリミアのフナ要塞跡、ジュールジュールの滝



アウトドアで滝で用を足す、という話ではない。
ツアーの始まりは、クリミアのフナ要塞跡である。ツアーの行程を動画で紹介するという事らしい。
このフナ要塞は日本では、この名を知る人は少ないが、欧州では有名な観光スポットであるという事だ。
注目されたのが聳え立つ巨岩である。エカテリーナの頭の一部、ノアへの欲望、という名で紹介されていたが、一般的に通る名かどうかは不明である。
遺跡の中には元住人の石で出来たトイレがある。旅人も実際に腰を下ろしてみるが、微妙な表情ですぐに切り上げた。欧州にはトイレの文化が無かったため、ここが最初のトイレであると、ツアーでは説明している。要塞跡らしく丘の上から敵を狙うバリスタ台も紹介していた。
ツアーはそこから滝へと移動する。車での移動になるが、道が悪くオフロード車の使用を薦めている。

ジュールジュールの滝

滝の名前はジュールジュールの滝。
標高468mのボストーチヌイ・ウル・ ウゼン川の流れによる。100メートルの高さから三段階の流れに沿って水が降下している。 高さ15メートルの石灰岩棚から5メートルの幅の広い水の流れが深い地盤に落下し、河床を押しつぶす。
ジュールジュールはクリミアで最も強力な滝で、平均的な長期排水量は270リットル/秒である。乾季においても乾燥する事はない。ジュールジュールという名前は、滝の音の擬音であるとも、ジュール自体が水を意味する言葉ともいう。
全体を通して元気のある女性の紹介で、賑やかさが感じられた。ツアーでないと到達困難である事から、個人で静けさを感じるために訪れるには向かないと思われるが、自然のバイタリティーは十二分に感じられる。

ピンタレストの関連ボード

環境保全の漁業「コラル」=コロンビア、マグダレナ川=

伝統漁法「コラル」



オレンジ色に焼ける朝日の中、マグダレナ川の漁師達の舟が出る。彼等の漁法は集団的で持続可能な漁業技術である「コラル」だ。
コラルとは元々、家畜用の柵囲いを意味する言葉で、この漁法でも漁場を複数の舟で囲んで、中心部に網を投げ入れたり、自分の近くに居た魚を網で捕ったりしている。
マグダレーナ川は、 コロンビアからカリブ海に流入する川で、この国の領土の24%を占める。
大学等で環境保護の観点から色々な仮説が議論されるが、ここに住む謙虚な人々は、それよりも保全の感覚を持っている、とコメントで称えられている。
日々の生業のための道具を丹念に手入れする漁師のひたむきな姿があった。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.6

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.6



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。
このシリーズをここまで読んでいただいた方にとってはすでご存知のとおり、ボスニアの米国大使館の出資支援による、ボスニア観光振興プロジェクトである。
ボスニアとしては、セルビア、クロアチア、チェコ共和国、スロバキアなどの国内環境以外、米国、カナダなどからアプリケーションダウンロードが増加しているのは興味深い事だとしている。
好評のコメントが多い事で、彼らは、おもてなしによる観光振興の手ごたえを感じて、その重要性を再認識している。

コザラ(Kozar)


今回の観光ウォーキングは美しい魅力のコザラ(Kozar)から始まる。
ボスニア・ヘルツェゴビナには二つの国立公園があり、そのうちの一つが豊かな動植物を持つコザラ(Kozar)である。古代の記憶を保持する歴史博物館もある。近年では75,000人の観光客数を記録した。
2015年には、道路、通信インフラを補修すると同時に、スキー登山のための登山路を整備した。地元料理の他、各種イベントを提供する宿泊施設もコザラ(Kozar)の自慢である。スイート、ジム、サウナ、スイミングプール、スポーツ施設も用意されている。
訪れた客は、コザラ(Kozar)は年間を通して魅力があり、天気のいい日に太陽の光で解けた雪が屋根から落ちるのが素敵な時間だったと評価している。
また、大人用、子供用の二つのスキー場があるので、ウィンタースポーツ愛好家にも魅力的である。その人気に応えてリゾート施設では、コースとリフトの延長を行い、国立公園では訪問者のための情報センターも準備している。この情報センターには国立公園の動植物と地質学的基礎などの環境情報が集められている。
純粋な手付かずの自然を楽しむために観光客が集まる。
だが、こうした人気を維持するためには、ハイキングコースなどの継続的なメンテナンスや、サンスカ・ドゥビツァに通じる道路の建設のようなインフラストラクチャが課題となる。容易な事ではないが、永く観光振興に貢献していく事になるだろう。


プリイェドル(Prijedor)


コザラ(Kozar)の上のイベントは、セルビア、ボスニア共和国、さらに広い地域にわたって訪問者を集めた。
プリイェドル(Prijedor)も長年にわたって観光振興に力を注いで人気を集めている。そして、観光施設の数と魅力的な観光地に発展する可能性を秘めている町でもある。
プリイェドル(Prijedor)では、本質的な文化発展のために、観光振興の一環として劇場を再建した。2015には、サナ川およびその周辺の小規模河川の河床や川岸を洗浄し、造園措置を施した。農村観光の発展のためのあらゆる可能性を持っている。

北米生活を満喫、ニューヨーク州ナイアガラの滝

北米在住のロシア人がナイアガラの滝を紹介



旅人のロシア語のナレーションで動画は進行してゆく。
ナイアガラ・フォールズ州立公園の紹介から旅は始まる。
公園では、博物館、食品売り場、映画館、土産屋、花火、ハイキング遊歩道、ピクニック・テーブル、レクリエーション・イベント及び魚釣りを提供している。
飛沫の白さにカメラを寄せる場面も見られる。彼女の飛沫への興味は遠くへも及んだようで、撮影場所から辛うじて見える流水の落所にもポイントを当てて解説を加えている。地図上の地形と現在の立地を正確に照合して、すでに土地勘のようなものが発生しているのがうかがえる。
周辺の自然公園の小動物に関心を寄せるのも、女性ならではの視点だろう。尻尾の長い大きめのリスが芝生を足早に駆け去り、草陰から顔をのぞかせていた。
自然の美しさを満喫して、旅人は夕日を背に人の生活空間へ帰っていった。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.5

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.5



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。
冒頭でボスニア・ヘルツェゴビナでの主な宿泊施設が登場する。

今回も美しい観光ルートは、バニャ・ルカに始まる。バニャ・ルカはブルバス川の両岸に建てられた町である。山、自然、エメラルドグリーンの川と訪れる者の視点は一点に定める事はできない。
オーストリア、ハンガリーとトルコの戦時中、長期に渡り破壊にさらされ、激動の歴史はこの都市の根幹に深く刻まれている。今日、バニャ・ルカの最も有名な観光資源となっているカステル要塞を中心に戦いが行われた。この遺跡は、1969年の地震の後、バニャ・ルカの地下から呼び覚まされた。ブルバスの街の守護者であるカステルに加えて、バニャ・ルカは、観光客に提供できるたくさんの財産を持っている。
中でもラフティングは、今日のバニャ・ルカの冒険観光の最大のカテゴリーを堅持している。また、観光案内などの専門的なサービスに加え、休養のためのサービス、リゾートが地域に整っている。
ブルバスの街では、現在、民族観光が展開されているが、これは将来的に多くの観光客に周知され、その中でもリュバック(Ljubacki)の谷はそれが顕著になっていくだろう。


サンスキ・モスト(Sanski Most)

サンスキ・モスト(Sanski Most)はボスニア・ヘルツェゴビナ北西部の街で、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のウナ=サナ県に属する。ボサンスカ・クライナ地方のサナ川河畔にありプリイェドルとクリュチの間に位置する。
サナ川、ダブラスカ洞窟、カメングラード(Kamengrad)が、サンスキ・モスト(Sanski Most)が誇る観光地として挙げられる。上下の広大な面積のカメングラード(Kamengrad)は、真の自然の楽園で、山岳地帯がそのまま森林となって谷の蛇行地形を覆う。
サラエボのザグレブ方面から訪れた観光客には、とっておきの自然体験が待っている。サナ川の支流の滝が出迎えてくれ、夏季には涼を得る事ができるが、11月以降の冬季には水はぐっと少なくなる。氷点下になり、水が凍ってしまうのである。だが、それにも興があり、白いおとぎ話の世界がそこに出現する。


クリュチ(Ključ)

流れゆく美しい川の風景のあるボスニア・ヘルツェゴビナの小ささな街は、十分に保全された自然環境の中にある。多様で豊かな文化と歴史遺産を持つ街は、クリュチ(Ključ)と呼ばれてる。
クリュチ(Ključ)はボスニア・ヘルツェゴビナの町で、ウナ=サナ県に属する自治体である。町の名であるクリュチはセルビア・クロアチア語系の言葉で鍵を意味する。
358平方キロメートルの面積を持ち、川や森林を観光資源として持つ街だが、同時に重要な歴史的な宝も持っている。
クリュチ(Ključ)の歴史は街を囲う高い壁に象徴される。1463年にオスマン帝国がクリュチ(Ključ)に進攻。最後のボスニアの王は手紙のみを残して退去し、クリュチ(Ključ)もオスマン帝国の支配下に置かれる事となった。
クリュチ(Ključ)はサナ川などの河川を観光資源とした街で、釣りを楽しめる他、ボートレースなど数多くのイベントが開催される。


テスリッチ(Teslić)

テスリッチ(Teslić)は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスルプスカに属する街である。ウプソラ川のほとりにあるスルプスカの中央部に位置していて、2013年の段階で住民数は41,904人である。
市町村では、今もなお観光事業の改善に力を入れていて、中でも釣りに関しては自治体でも力を入れていきたいとしている。
ボルジャ(Borja)山を流れる大小ウクライナ川、ウプソラ川、湖にはマスが豊富で、街でも観光資源として前面に押し出している。
長い伝統、美しい自然、健康食品。テスリッチ(Teslić)には農村観光に必要とされる全てを備えていて、農村観光の発展のために理想的な条件が整っている。
今日の産業は木材、牛乳、衣類、電気通信、電気産業、金属産業、建築工事の生産に主に基づいており、これに観光産業が加わる事によって、街は急速に熱気を帯びているのである。


スレブレニツァ(Srebrenica)

スレブレニツァ(Srebrenica)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの町で、スルプスカ共和国に属する。スレブレニツァは塩の採掘と温泉を産業の中心とする小さな町である。
針葉樹と落葉樹林で覆われた自然の静けさの中で、都市のアスファルトに包まれた生活から離れ、この地の温泉には多くの病気において光明を見出す事ができるだろう。
温泉スパの療養場を観光の主軸に据えるスレブレニツァ(Srebrenica)は、ドリナ川の渓谷も観光の魅力として伝える。
湖、川で釣りを楽しむ事ができ、街の周辺をゆっくり散策するとき、モスクでの祈りや、正教会の祈りの言葉が交じって風から届けられるだろう。スレブレニツァ(Srebrenica)は、長い歴史の中、解体と再構築を繰り返してきた街でもあるのだ。


トルノヴォ(Trnovo)(スルプスカ共和国)

トルノヴォ(Trnovo)はボスニア・ヘルツェゴビナの街で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以前はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のトルノヴォと共にトルノヴォ自治体を形成していた。周辺はヤホリナ山、トレスカヴィツァ山などの山地に囲まれており、1984年に開催されたサラエボオリンピックでは主要な会場となった。今日では様々なウィンタースポーツの目的地としてサラエヴォ周辺の観光地の一つとなっている。町の中心を流れるジェリェズニツァ川は主な地理的な特徴の一つである。
ヤホリナ山、トレスカヴィツァ山には、スポースクラブやハイカーのために、バンガローなどが整備されている。


フォジニカ(Fojnica)

山のふもとに同じ小さな川の絵のように美しい渓谷で長い歴史を持つ街がある。フランシスコ修道院、多くの人が羨望する博物コレクション、そして文化の希少性をフォジニカ(Fojnica)は有している。
フォジニカ(Fojnica)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの内、中央ボスニアに属する町である。ボスナ川の支流であるフォジニカ川の谷にある小さな町で、サラエボの首都の西に位置している。
フォジニカ(Fojnica)には温泉スパがあるため、ボスニア・ヘルツェゴビナの観光地の中で、療養の場所に選ばれる事が多い。近くの農業協同組合では、毎年約20トンのジャガイモを栽培している。ヘルスツーリズム、スポーツやレクリエーション、宗教観光、釣りなどがフォジニカ(Fojnica)の観光形態である。療養施設を備えたホテルは、心臓リハビリテーション、脳卒中、その他術後回復のためのリハビリに利用され、アクティブな療養生活を希望する患者に人気である。

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.4

[Bosna i Hercegovina] ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークNo.4



ボスニア・ヘルツェゴビナの観光ネットワークTuristički Rotorが自然と文化遺産の美しさを紹介している。
冒頭の数分間では、前回までに案内してきた観光ネットワークに沿って旅したユーザーの、好評意見としてのフィードバックが紹介されている。

ウスティコリーナ(Ustikolina)

ウスティコリーナ(Ustikolina)は、フォシャ=ウスチコリナ、ボスニア・ヘルツェゴビナの村で、サラエヴォから80kmの場所にある。ウスティコリーナ(Ustikolina)を流れるドリナ川で釣りやウォータースポーツに最適な環境を提供するとともに、自然食品のフェアを催して観光客を惹き付けている。地図上の全てが観光地だと自治体の担当者は、ウスティコリーナ(Ustikolina)の観光価値を誇る。

ロガティツァ(Rogatica)

ドリナ川のエメラルドグリーンは、ロガティツァ(Rogatica)の丘に入りさらに色味を増す。
ロガティツァ(Rogatica)は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスルプスカ共和国に属する町である。人口は11,000人ほど。サラエヴォから北東に60kmの場所、ゴラジュデからソコラツへ向かう道路の途中に位置する。馬場として知られ、高品質のジャガイモ、クリームチーズ、子羊の料理も有名である。また、ロガティツァ(Rogatica)はネクロポリスとしても知られ、発掘によって古代の集落が確認されていて、石碑の数も多い。ボスニア最古のハシバミの木という名所もあり、樹齢450年以上と推定される。

スタリー・グラード(Stari Grad)

スタリー・グラード(Stari Grad)は、クロアチア、ダルマチア地方のフヴァル島の北西部にある町で、フヴァルと並び主要な町である。伝統工芸、歴史遺産、自然遺産が高く評価されるスタリー・グラード(Stari Grad)の自治体では、歴史遺産を保護しつつ、都市インフラの再構築を進め、マーケットのインフラは神聖なオブジェクトとして重要であるという事を強調していきたいと考えている。それもそのはず。スタリー・グラード平原はUNESCOの世界遺産に登録されているのである。オスマン時代に隆盛を誇ったモスクや、その前後の時代に教会など、スタリー・グラード(Stari Grad)には自慢出来る歴史遺産が多い。近年では、日本を始め、中国、台湾、香港、韓国など東アジアからの観光客が急増しているという。

バノヴィチ(Banović)

バノヴィチ(Banović)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ北東部の町で、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のトゥズラ県に属する。
バノヴィチ(Banović)が観光客を惹き付ける魅力の一つとして、蒸気機関車が走る鉄道がある。煙を吐き出しながら走るチロ(蒸気機関車)に興奮気味にシャッターを切る観光客も多い。質の高いバノヴィチの褐炭はヨーロッパ中では良く知られ、その輸送のために、ブルチコとバノヴィチを結ぶ鉄道が1946年に敷かれた。自治体では鉄道等の文化遺産と自然遺産を融合させた観光を提供したいとしており、周辺の森林公園でハイキングを楽しんだり、郷土料理を味わいゆったりと過ごすという楽しみ方もできる。バノヴィチ(Banović)では今日も観光客を大勢乗せたチロ(蒸気機関車)が鉄道を走る。

農村のドリンク

ボスニア・ヘルツェゴビナの各農村では秋になるとドリンクの大釜に火が入るのが、生活と切り離せない光景であるようだ。
梅、ジャガイモ、トウモロコシ、蜂蜜からドリンクを作って、野外で熱した大釜を少しずつ回しながら、皆で集まって収穫を祝う。若者達は伝統的なフォークダンスを踊り、村の音楽家達が集まって、演奏し、歌う。王立の村であったコトロマニチェボ(Kotromanicevo)にもこうした光景があった。
クロアチアとの国境から45kmの距離に、観光民族集落「Kraljevsko seloKotromanićevo」がある。王室の雰囲気とボスニアの王家の古い建築美を表現している。
村人は、飲んで歌って人生を称える。
「ああ、私の胴やかんと名誉。毎朝あなたの隣に私の幸福を」
これが、ボスニア・ヘルツェゴビナの農村の秋なのである。

ノーヴィ・トラブニク(Novi Travnik)

ノーヴィ・トラブニク(Novi Travnik)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの中央ボスニア・カントンにある町である。
ノーヴィ・トラブニク(Novi Travnik)は、かつては多くの工場労働者を収容する高度に発達した工業地帯という位置付けであったが、現在では少し様子が異なるようだ。
自治体は、ノーヴィ・トラブニク(Novi Travnik)と呼ばれ、イブロプカール(ÜuroPucar)が出た後にPucarevoと1980年まで呼ばれ、1992年に元の名前に戻った。
町が成立したのは、近代であり町の成立当初から殖産興業として、軍事産業、鍛冶、金属部品産業が活発であった。
観光資源としては、ノーヴィ・トラブニク(Novi Travnik)には、ネクロポリスや石碑、天然林があり、都市成立時代に整備されたインフラが、観光情報がデジタル化された現代にも役立つ事が期待される。

トラヴニク(Travnik)

トラヴニク(Travnik)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの都市で、サラエヴォからは約100kmほど北西に位置し、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の中央ボスニア県に属する。
観光客がトラヴニク(Travnik)を話題にするとき、新鮮な空気、清潔できれいな水、緑、そしてトラブニクケバブを挙げる事が多い。ボスニアの他の多くの町と同様にトラヴニクもその多くを歴史や地理的なものをベースとした観光に依存している。近隣のヴラシチ山はボスニア・ヘルツェゴビナでは高い山の1つで、スキーやハイキング、そり滑りの適地となっている。ケバブが特産として挙げられるのは、オスマン帝国時代に急速に発展しモスクやバザールなど様々なインフラが整備されていったという経緯によるものだろう。トラヴニク(Travnik)の現在の産業は、繊維、履物、食肉産業、製薬産業、木材産業、金属産業などである。
羊のチーズが名産である事も忘れてはならないだろう。トラヴニクの標高は514mで周囲をヴィレニツァ山(Vilenica)やヴラシチ山(Vlašić)などの山地に囲まれているのが地理的な特徴である。先の羊のチーズもこの山の名からヴラシチチーズとも呼ばれている。訪れる全て人たちにヴラシチ山(Vlašić)から涼やかな風が注がれる。

火星の川は逆さまなのか

火星の倒立した河川の彫塑



火星にも川はある。だが地球のそれと異なり逆さまである。
山なのか谷なのか。この錯覚は、我々の脳を混乱させ、逆さまにしてしまう。

河川の跡が周囲より高くなる

風景の中に我々の脳は識別困難に陥る。内部から光が出ているのか光の出ている場所がわからない。これによって火星の表面の写真に関する議論が発生した。
巻線の形状は、ここの古い河川で、非常に素晴らしい発見である。それは過去に火星に液体の水があったことを意味する。
画像の中にはクレーターが見えるが、これは光が上から来ていることを意味する。左上の隅に影が発生している。
それによって、理論的に、この河川の跡は周囲より高くなっているという事が言える。
本来、河川の跡は谷となるように掘り込まれているはずである。このような反転した地質学的プロセスは地球のセントジョージにも見られる。